「ナラティブ」が他人への暴力に転じる危険性
『物語化批判の哲学』
〈わたしの人生〉を遊びなおすために
難波 優輝 著
|
講談社(講談社現代新書)
| 240p
| 1,056円(税込)

序.人生は「物語」ではない
1.物語批判の哲学
2.ゲーム批判の哲学
3.パズル批判の哲学
4.ギャンブル批判の哲学
5.おもちゃ批判の哲学
終.遊びと遊びのはざまで

近年、さまざまな場面で「物語(ナラティブ)」が注目を集めている。政治家がビジョンを物語化して語ったり、ブランドマーケティングや広告において、商品や企業の背景にある物語によって消費者の共感を呼び起こしたりする。なぜ、物語はもてはやされているのか。また、そこに危うさはないのだろうか。
本書では、人々が「物語に支配されつつある」と危機感を持った著者が、物語の批判を試みている。物語は、理解し、理解されたいと思うこと、他人にも同じ気持ちになってほしいと願うことなどから重要視されるようになった。一方で、自身に馴染みのある物語を使って他人を理解しようとする場合などには、他人への「不当な解釈」をしてしまうリスクがある。また、物語を代替できる遊びとして、ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃなどが考えられるが、とくにおもちゃを使った遊びは人類に普遍的なものであり、物語を代替できる可能性があると考えられる。著者は、美学者、会社員。立命館大学衣笠総合研究機構ゲーム研究センター客員研究員、慶應義塾大学サイエンスフィクション研究開発・実装センター訪問研究員。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。
