ペリー来航時に薩摩藩主が唱えた「国家観」とは
『島津氏』
鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略
1.島津忠久の治世――元暦2年(1185)~嘉禄3年(1227)
2.島津貞久・氏久の治世――文保2年(1318)~嘉慶元年(1387)
3.島津元久・久豊の治世――嘉慶元年(1387)~応永32年(1425)
4.島津忠国・立久の治世――応永32年(1425)~文明6年(1474)
5.島津忠良・貴久の治世――大永7年(1527)~永禄9年(1566)
6.島津義久・義弘の治世――永禄9年(1566)~慶長4年(1599)
7.島津家久の治世――慶長6年(1601)~寛永15年(1638)
8.島津光久の治世――寛永15年(1638)~貞享4年(1687)
9.島津重豪の治世――宝暦5年(1755)~天明7年(1787)
10.島津斉彬の治世――嘉永4年(1851)~安政5年(1858)
11.島津久光の治世――安政5年(1858)~明治2年(1869)
中世から近代に至るまで、九州南部の支配者として君臨した“武家の名門”が島津氏だ。とくに「薩摩」と言えば京都や江戸から遠く離れた僻地であり、貧しい地域だったと思われがちだが、実際はそうとも言い切れないようだ。石高ではなく外交貿易を軸にして見れば、従来のイメージとは異なる姿が浮かび上がる。
本書は、鎌倉時代に始まった島津氏の祖である忠久の治世から、近世末の島津斉彬、さらに久光の治世に至るまでを概観し、主たる当主の時代の出来事や戦略について解説を加える。島津家は、義久・義弘の治世には関ヶ原の合戦で家康の敵対勢力となったにもかかわらず、直後の家久の治世においては幕府から朱印状を受給して最大級の朱印船貿易家となった。また琉球本島以南を間接統治したことにより、欧米列強の東アジア進出に早い段階から危機感を持っていた。これが、島津斉彬の「国家的展望」、富国強兵・殖産興業政策に繋がっていったようだ。著者の新名一仁氏は宮崎市史編さん室専門員、南九州大学非常勤講師。徳永和喜氏は鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長。鹿児島史談会会長。ともに九州や島津氏の歴史に関する複数の著書・編著書がある。なお本書は、6章までを新名氏が、7章以降を徳永氏が担当している。