インシデントの当事者が報告せず沈黙を守る理由
『ヒューマンエラーは裁けるか 新装版』
安全で公正な文化を築くには
JUST CULTURE(2007)
推薦の言葉――安全文化構築への画期的提言(柳田邦男)
プロローグ 看護師のエラーが犯罪となるとき
1.なぜ公正な文化が必要なのか?
2.失敗をとがめるべきか許すべきか?
3.報告の重要性と報告のリスク
4.情報開示の重要性と情報開示のリスク
5.すべての失敗は同等か?
6.後知恵による責任追及
7.悪いことをしていないならおそれる必要はない?
8.検察官がいなければ犯罪は存在しない
9.裁判は安全を害するか?
10.公正さを追求する裁判の関係者たち
11.公正な文化に対する三つの問い
12.「個人かシステムか」から「システムの中の個人」へ
13.公正な文化を構築するためのアプローチ
エピローグ
監訳者による解説とあとがき
新装版の解説(芳賀 繁)
ヒューマンエラーが人の生死にもかかわる専門職に、医師や看護師といった医療職、航空機パイロットや管制官などが挙げられる。日本では、1年におよそ1,300~2,000件の、死亡を伴う医療事故が発生するという試算もある。医療事故で当事者の医師などが処罰されることがあるが、それは「公正」なのだろうか。
2007年に刊行された『JUST CULTURE(公正な文化)』の翻訳書である本書では、ヒューマンエラーによる事故やインシデントに対し、当事者を裁く以外の、組織の学習と改善に結びつく対処と、それによって培われる「公正な文化」について、多くの事例を挙げながら論じている。過失の原因を当事者(担当した医師や看護師、事故機のパイロットなど)のみに帰することは、ほとんどの場合できない。システムや慣習、人間関係などさまざまな要因が複雑に絡み合っていることが珍しくないからだ。だが、往々にして訴訟では当事者個人が罪に問われ、その結果、その後の安全にかかわる失敗報告がなされなくなることもあるという。著者は、豪グリフィス大学教授、クイーンズランド大学名誉教授。人間工学、安全システムを専門とする。